マーガレット・テート・キニア・バラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 22:45 UTC 版)
「ジェームス・ハミルトン・バラ」の記事における「マーガレット・テート・キニア・バラ」の解説
ジェームスに同伴した妻マーガレット (Margaret Tate Kinnear Ballagh) は20歳での来日であり、日本での最初の五年の滞在中の書簡集を「Glimpses of Old Japan 1861-1866」と題して出版しており、当時の若い女性宣教師の日本に対する考えを知る上で貴重な資料となっている。マーガレットは来日前に中国に短期滞在しており、貧困と女性への虐待ともとれる風習が蔓延していた中国と比べ、日本での女性の自由と、女性天皇を生み出した日本の歴史的な女性の地位の高さに感嘆している。 夫妻は当時の他の多くの宣教師が滞在した神奈川の成仏寺でジェームス・カーティス・ヘボンの家に間借りをし、1862年には長女キャリーが生まれている。1863年に外国人を浪人から防護する目的で幕府の命により横浜の外国人居留地に強制移住させられている。マーガレットは1866年に一度米国に帰国しており、この時は仙太郎を同伴している。夫妻には後にさらに二人の娘と一人の息子が生まれている。マーガレットは生涯横浜に在住し、1909年に没し横浜外国人墓地に埋葬された。
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