マルクス主義に転向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:19 UTC 版)
「ヴェーラ・ザスーリチ」の記事における「マルクス主義に転向」の解説
スイス亡命後、マルクス主義に転向する。この間、ロシアの共同体をめぐり、カール・マルクスとの間に書簡を往復させる。1883年、プレハーノフ、パーヴェル・アクセリロードとジュネーヴにおいてロシア最初のマルクス主義組織「労働解放団」を結成する。労働解放団の依頼でザスーリチは、マルクスの作品をロシア語に翻訳する。1890年代にインテリゲンツィアの間に急速にマルクス主義が浸透すると、1898年の社会民主労働党結成の遠因を作った。1900年、ユーリー・マルトフ、ウラジーミル・レーニン、アレキサンドル・ポトレソフら新世代に属する急進的なグループとザスーリチ、プレハーノフ、アクセルロードらの間には、ある種の対立関係が生じるようになっていた。しかし6人は、共同して「イスクラ」を創刊し編集局員として働いた。1900年から1903年にかけて、「イスクラ」紙上で、「合法マルクス主義」として知られるピョートル・ストルーヴェや、セルゲイ・ブルガーコフと論争を展開した。
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