マラソンとゴルフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:04 UTC 版)
かつては、テレビで堂々と「僕はゴルフはやりません」と公言していたが、のちにゴルフを好むこととなった。 また、「マラソンなんかしません」と言いながらマウイマラソンに参加(1995年の25回大会から冠スポンサーに。上岡の功績は大会HPで讃えられている(2006年10月時点))、1995年に豪州のゴールドコーストマラソンにも挑戦しており、この時には一般ランナーの壁とされる4時間以内のタイムを、3時間48分25秒で走破した。マラソン熱が高じてサロマ湖100キロウルトラマラソンのようなウルトラマラソンにも挑戦し完走している。『オールスター感謝祭』の「赤坂5丁目ミニマラソン」ではランナーの常連、ハンデキャッパー(同番組でハンデが科せられる上級走者のこと)であった。 もともとマラソンを始めたきっかけは、1990年頃に仕事のために大阪市内の自宅から読売テレビまで徒歩で行こうとして、途中大阪城公園を通った際に何気なく走ってみたところ、ほんの数メートルで息切れしてしまい、体力の衰えを痛感したのが一因[要説明]、その後、色々工夫しながら徐々に距離を延ばして走り続けた結果、マラソンが好きになった。
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