マハーワンサとの相違
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:26 UTC 版)
「ディーパワンサ」の記事における「マハーワンサとの相違」の解説
ウィジャヤ王については、後に成立したマハーワンサに比べるとディーパワンサでは超人的な記述が少ない。マハーワンサによるとウィジャヤ王の祖先はカリンガ・ヴァンガ (Kalinga-Vanga) 姫を妻に持つシンハ (Sinha) という、商人を襲う盗賊であった。その後、ララ (Lala、またはラタ Lata) の王と王妃であったシーハバーフ(英語版)とシーハシーウァリー (Sinhabahu, Sinhasivali) は双子を16回産んだとあり、そのうちの長子がウィジャヤ、第二子がスミッタ (Sumitta) であったとしている。ウィジャヤの残忍な振舞いに怒った民衆は、王に息子であるウィジャヤを殺すよう訴えたが、王はウィジャヤを700人の家来とともに追放することにした。そしてウィジャヤは家来ともにスリランカに逃れた。ウィジャヤ達が上陸したのはタンバパーニ(英語版) (Tamba-panni) と呼ばれる場所で、ちょうどその日に釈迦がマハー・パリニバナ (Maha Parinibbana) を通ったとしている。 ディーパワンサではアショーカ王の娘であるサンガミッター(英語版)が島に来たことについては詳細に述べているが、一方でドゥトゥガムヌ(英語版)王についてはわずか (パーリ語の詩で10連のみ) しか触れていない。マハーワンサではこれに10章を割いているのとは大きな違いである。
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