マニックスのメンバーとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 02:20 UTC 版)
「リッチー・ジェームス・エドワーズ」の記事における「マニックスのメンバーとして」の解説
ジェームス、ニッキー、ショーンの3人は結成時からマニックスのメンバーだったが、リッチーは当初バンドの運転手やローディーを務めていた。1988年に当時メンバーだったフリッカーが脱退し、リッチーはリズムギタリスト・作詞家としてバンドに加入。バンドは1991年にメジャーデビューを果たした。 同年5月15日には当時「アルバム1枚のみをリリースして世界各国で1位になって解散する」などと大口を叩いていたマニックスに対して疑問を抱いていたNMEの記者であるスティーヴ・ラマックは、ライヴ後にリッチーに対しバンドがどれだけ本気かを尋ね、リッチーは所持していた剃刀で「4REAL(本気だ)」と左腕に傷をつけ、18針を縫う大怪我を負う。これが後に伝説となった4REAL事件である。このようにリッチーは思想的・精神的支柱としてバンドでの存在感を強めていく。
※この「マニックスのメンバーとして」の解説は、「リッチー・ジェームス・エドワーズ」の解説の一部です。
「マニックスのメンバーとして」を含む「リッチー・ジェームス・エドワーズ」の記事については、「リッチー・ジェームス・エドワーズ」の概要を参照ください。
- マニックスのメンバーとしてのページへのリンク