マザールの発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:41 UTC 版)
「マザーリシャリーフ」の記事における「マザールの発見」の解説
マザールとはアラビア語で「訪れるべき場所、参詣すべき場所」という意味である。イスラム教には聖者(ワリー)の墓廟(マザール)を参詣する風習があり、マザーリシャリーフには「ハズラト・アリー廟」が祭られている。アリーとはアリー・イブン=アビー=ターリブの事である。この人物はスンナ派の第4代正統カリフであり、シーア派の初代イマームでもある。661年、アリーはイラクのナジャフにある「クーファの大モスク」で暗殺された。遺体はその地に埋葬されたと一般には信じられている。しかし1135年頃、イラクから遠く離れたバルフ近郊のアル・ハイル村の住民達が、アリーが夢枕に立つとセルジューク朝の領主のクマジュに訴えた。領主が部下に夢の場所を掘らせてみると、アリーの遺体と証拠のレンガが見つかったので、領主は立派な廟を建てて祭った。しかし、13世紀にモンゴル軍が襲来し地域が混乱した為か、墓の場所は分からなくなった。1480年頃、領主のフサイン・バイカラの元に墓の在り処を示す書物を持った人物が現れた。スルタンがその場所に行ってみると墓が見つかったので大いに喜び、立派な廟を建てたという伝承がある。これが現在のブルーモスクの原型であり、マザーリシャリーフは信仰を集め、隣街のバルフに代わってこの地方の中心都市として発展した。
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