マクリヌスの帝位簒奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 08:11 UTC 版)
「セウェルス朝」の記事における「マクリヌスの帝位簒奪」の解説
カラカラ帝の親衛隊長官であったマクリヌスにはセウェルス朝との血縁がない。マクリヌスはカラカラの暗殺後帝位に就き、息子のディアドゥメニアヌスをアウグストゥスとして自らの王朝建設を試みた。また、自身の基盤の不安を取り除くため、セウェルス朝の外戚であったバッシアヌス家をローマから追放した。 しかし、これが裏目に出てしまった。バッシアヌス家の女当主ユリア・マエサ(セプティミウス・セウェルスの皇后ユリア・ドムナの姉妹)はセウェルス朝の復興を画策し、長女ユリア・ソエミアスの息子ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス(後のヘリオガバルス)をカラカラの落胤と称してシリアで反乱を起こした。 反乱軍に敗北したマクリヌスは処刑され、息子のディアドゥメニアヌスもパルティアへの逃亡中に反乱軍に捕らえられて処刑された。マクリヌスの新王朝建設は失敗に終わった。
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