マカオ ギア・レース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 05:44 UTC 版)
「1991年のドイツツーリングカー選手権」の記事における「マカオ ギア・レース」の解説
前年、DTMカーの参戦が認められたスパ24時間だが、1991年は再びDTM規定車の参戦が不可能となった。しかし、マカオグランプリのギア・レースがDTM規定車のエントリーを認めるようになり、DTM勢がこれに参戦することになった。 1991年のギア・レースにDTMからメルセデス/AMGが190E2.5-16エボリューションIIを3台、BMW/シュニッツァーがM3を3台エントリーさせた。前年優勝の長谷見昌弘の日産・スカイラインGT-R(グループA仕様)はDTM勢のライバルとなりうる唯一のマシンだったが、最低重量が1000kgに設定されたDTM勢に対して、スカイラインGT-Rは最低重量が1990年より140kgも重い1400kgとされたため戦闘力は大きく低下していた。レースは前年のギア・レースでグループA仕様のBMW・M3で長谷見のスカイラインGT-Rに敗れていたシュニッツァーのエマニュエル・ピロが雪辱。AMGのクルト・ティームが2位、クラウス・ルドヴィックも3位に入りDTM勢が表彰台を独占した。 また、ニュルブルクリンク24時間レースにもBMW陣営のシュニッツァー、リンダ―とオペルのイルムシャーが出場し、シュニッツァーのヨアヒム・ヴィンケルホック組が優勝した。
※この「マカオ ギア・レース」の解説は、「1991年のドイツツーリングカー選手権」の解説の一部です。
「マカオ ギア・レース」を含む「1991年のドイツツーリングカー選手権」の記事については、「1991年のドイツツーリングカー選手権」の概要を参照ください。
- マカオ・ギアレースのページへのリンク