ポポビッチの始動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 03:17 UTC 版)
「サンアントニオ・スパーズ」の記事における「ポポビッチの始動」の解説
1994-95シーズン に、ポポヴィッチが、スパーズのゼネラル・マネージャーに就任する。ポポヴィッチに求められたものはラリー・ブラウンの退任後、成長が横ばい状態にあるスパーズを優勝できるチームにすることだった。スパーズは新たにボブ・ヒルをヘッドコーチに迎え、さらにポポヴィッチがウォリアーズのアシスタントコーチをしていた頃から目を付けていたポイントガードのエイブリー・ジョンソンと契約。また、ショーン・エリオットが復帰して、これまでのチーム最高記録の62勝20敗を記録して、ロビンソンもシーズンMVPを受賞した。しかし、カンファレンス決勝でアキーム・オラジュワンのヒューストン・ロケッツに敗れてまたしてもファイナル進出はならなかった。シーズン中、そしてプレーオフでたびたび問題を起こしたロッドマンをこのシーズンでシカゴ・ブルズに殆ど無償で放出した。 1995-96シーズン は59勝23敗でレギュラーシーズンを終え、カンファレンス準決勝まで進んだが、2シーズン前と同じく、ストックトン、マローンのユタ・ジャズに敗れた。この時点で誰も翌年の不調を予測するものはいなかった。 1996-97シーズン 、ロビンソンが背中を痛め、開幕から18試合を欠場し、6試合続けてプレーしただけで左足小指の中足骨を骨折した。手術は無事成功したものの、その後残り試合すべて出場できなかったこともあり、スパーズはチーム史上最低の20勝62敗と一気に凋落した。これはリーグで下から3番目の成績だった。ヒルヘッドコーチは18試合を3勝15敗で終わったところで解雇され、その後をGMであったグレッグ・ポポヴィッチが自ら引き継いだ。しかしこの成績がオフシーズンに幸運をもたらすこととなった。
※この「ポポビッチの始動」の解説は、「サンアントニオ・スパーズ」の解説の一部です。
「ポポビッチの始動」を含む「サンアントニオ・スパーズ」の記事については、「サンアントニオ・スパーズ」の概要を参照ください。
- ポポビッチの始動のページへのリンク