ボドンチャルに始まるボルジギン氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 16:56 UTC 版)
「ボルジギン氏」の記事における「ボドンチャルに始まるボルジギン氏」の解説
アラン・ゴアから生まれたうち、長男のベルグヌテイの子孫はベルグヌウト氏になり、次男のブグヌテイの子孫はブグヌウト氏になり、三男のブグゥ・カタギの子孫はカタギン氏となり、四男のブカトゥ・サルジの子孫はサルジウト氏となり、五男のボドンチャル・ムンカクの子孫はボルジギン氏となった。 ボドンチャルの孫のメネン・トドンがやや高齢で死去すると、その妻のモヌルン(ノムルン)と7人の子供が残された。一方ジャライル部族が契丹(遼)によって大殺戮を受けており、そのうちの70戸がモヌルンの領土に避難してきた。しかし、あまりにも飢えに悩まされた彼らはモヌルンの牧地において草根を堀り始めた。モヌルンはそれに怒って彼らの何人かを負傷させてしまう。それにジャライル人たちは怒り、モヌルンの子らと戦闘を始め、モヌルンの子の6人を殺害した。まもなくモヌルンも殺され、生き残ったのは乳母が薪の積み場に隠しておいた孫のカイドゥ(長男のギナドルの子)と婿として出ていった七男のナチンだけであった。このことを聞いたナチンは実家へ急ぎ、数人の老婆とカイドゥを保護し、ジャライル族数人を殺害して妻の実家であるバルグ族へと帰還した。 カイドゥが成長すると、バルグ地方の住民は彼を首長に戴いた。そこでカイドゥは家族の復讐を果たすべくジャライル部族へ侵攻し、その部族を支配下におさめた。その後カイドゥはバルグジン・トグム地方を領有し、そこで死去した。
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