ホイッグ党から共和党へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 16:03 UTC 版)
「エドワード・ベイツ」の記事における「ホイッグ党から共和党へ」の解説
1840年代、ベイツはホイッグ党の中で大きな力のある政治家へと成長した。1850年、ミラード・フィルモア大統領はベイツに対して陸軍長官のポストを提示したが、ベイツはこれを辞退した。ベイツはセントルイスの土地裁判所で判事を務めた。 ベイツは1852年のホイッグ党全国大会において副大統領候補の1人として挙げられた。ベイツは党員による第1回で優勢だったものの、第2回投票でウィリアム・アレクサンダー・グラハムに敗れた。1856年、ベイツはホイッグ党全国大会で議長を務めた。 1850年代中葉にホイッグ党が解体すると、ベイツは共和党に加わった。ベイツは所有する奴隷を解放し、奴隷制への反対を主張した。ベイツはまた、カンザス・ネブラスカ法に反対した。1860年、ベイツは共和党全国大会において大統領候補の1人として挙げられた。ベイツは新しい領土における奴隷制拡張に反対し、あらゆる市民に対して憲法に規定される平等な権利が保障されるべきとの主張を掲げたが、その姿勢が境界州や南部保守派の反感を買った。最終的にベイツは党員投票によってエイブラハム・リンカーンに敗れたが、その後はリンカーンの支持に回った。
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