ペンタコンスーパー・シリーズボディー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 14:37 UTC 版)
「ペンタコン」の記事における「ペンタコンスーパー・シリーズボディー」の解説
オプティック・カメラウェルクシュテーテン・VEBニーダーゼーリッツの「プラクチナシリーズ」の製造中止により、プラクチナII aのようなシステムカメラの供給が途絶えた事で、当時のプロ写真家から強い批判を受ることとなり、それに対処するべくM42マウントのための特別なアクセサリーを持つ新たなシステムカメラの制作の準備が1963年に始まった。暫定的に「プラクチナN」の開発コードが附されたプロトタイプが制作され、その後1966年春のライプチヒ見本市において「ペンタコンスーパー」が初めて公開されたが、ボディ及びレンズ双方でTTL開放測光が可能であったために、下請けに高度な要求を課す事になり定められた期間内に完成させることができず、製造開始が大幅に遅れてしまった。プロ用最高級モデルとして設計されたのでプロユーザーからは高い評価を得たが、そのために需要が限られてしまい、しかも高い技術内容に相応しい価額を要求されたために高価であり、それが需要をさらに減退させる要因となった。結局当時のコンビナートVEBペンタコン・ドレスデンは、高価な最高品質のカメラの生産を継続することを捨て、安価なアマチュア用一眼レフカメラに集中する決定を下した。1972年1月ペンタコンスーパーの製造は僅か1モデルだけをマーケットに送り出しただけで中止された。なお「プラクチナ」についてはカメラ・ウェルクシュテーテン・グーテ&トルシュ#プラクチナ・シリーズを参照のこと。 プラクチナN(PRAKTINA・N 1963年試作のみ) ペンタコンスーパー(PENTACON super 1968年発売)
※この「ペンタコンスーパー・シリーズボディー」の解説は、「ペンタコン」の解説の一部です。
「ペンタコンスーパー・シリーズボディー」を含む「ペンタコン」の記事については、「ペンタコン」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からペンタコンスーパー・シリーズボディーを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- ペンタコンスーパー・シリーズボディーのページへのリンク