ベーブ・ルースの出場停止処分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 03:57 UTC 版)
「1921年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ベーブ・ルースの出場停止処分」の解説
ブラックソックス事件での永久追放の決定は結果としてアメリカの野球に威信を回復させたが、ランディス判事の評価も一気に不動のものとなった。そしてそのコミッショナーの権威をさらに強く印象づけた事件がブラックスソックス事件が決着した直後に起こった。この年のワールドシリーズ終了後に大リーグ選抜チームで世界一周旅行が計画されて、当然ジャイアンツやヤンキースの選手たちもそのメンバーに予定されていた。しかし野球憲章にその年のワールドシリーズに出場したチームの選手はシリーズ終了後にポストシーズンゲームへの参加を禁止する条項があり、例外としてコミッショナーが許可した場合は可能とするものであった。ランディス判事はワールドシリーズに参加したジャイアンツとヤンキースの選手の参加を認めず、ベーブ・ルースにも直接電話で参加できない旨の連絡をしたが、ルースは納得せず拒否したため、ランディス判事は翌年のシーズン開始後40日間の出場停止処分をヤンキースから参加しようとした3人の選手に課した。これにヤンキースのオーナーは激しく抗議したがランデイスは自説を曲げることは無かった。この世界旅行は結局中止となったが翌年ヤンキースは主力選手3人を欠いたままペナントレースに臨まざるを得なくなった。そしてベーブ・ルースは打撃タイトルを逃し、4年連続で獲得した本塁打王も手放すこととなった。
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