ベトナム戦争とデルタ地帯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 09:15 UTC 版)
「紅河デルタ」の記事における「ベトナム戦争とデルタ地帯」の解説
ベトナム戦争時、首都ハノイや港湾工業都市ハイフォンなど当時の北ベトナムの重要拠点が数多く存在することから、紅河デルタは絶えずアメリカ軍による爆撃(北爆)を受け続けていた。 1972年、北ベトナムは、アメリカがデルタ地帯一帯の堤防や水門を意図的に爆撃していると非難。7月までに149ヶ所の堤防と水門が破壊されたと発表。アメリカ側は偶発的な被弾が12ヶ所あっただけと反論したが、国内外から堤防の爆撃に対する非難の声があがった。
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