プロテスタント側の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 06:15 UTC 版)
「ネルトリンゲンの戦い (1634年)」の記事における「プロテスタント側の対応」の解説
プロテスタント勢力は、数々の勝利を収めたスウェーデン王グスタフ・アドルフの死によって士気が低迷していた。ヴァレンシュタイン暗殺後、スウェーデンでは宰相オクセンシェルナの主導でプロテスタント諸侯とハイルブロン同盟を結んでいたが、当初からこの同盟関係はぎくしゃくしていた。スウェーデン軍の強大化を望まなかったザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世がスウェーデンが同盟の盟主に立つ事を拒絶し、さらにフランス王国宰相リシュリューが同様の理由から、条約違反を盾に同盟に横槍を入れたのである。結局、指揮はヴァイマルのベルンハルトとスウェーデン軍の将軍グスタフ・ホルンが執ることになったが、同盟はフランスの影響下に置かれることとなった。ベルンハルトとホルンには軋轢すら生まれつつあり、これは同盟軍にとって大きな弱点となる。
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