ブル砦の戦いとは? わかりやすく解説

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ブル砦の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 02:28 UTC 版)

ブル砦の戦い
フレンチ・インディアン戦争

1755年当時の五大湖周辺の地図
1756年3月27日
場所ヌーベルフランスニューヨーク植民地辺境地帯、現在のニューヨーク州ローム
北緯43度13分27秒 西経75度30分9秒 / 北緯43.22417度 西経75.50250度 / 43.22417; -75.50250座標: 北緯43度13分27秒 西経75度30分9秒 / 北緯43.22417度 西経75.50250度 / 43.22417; -75.50250
結果 フランスの勝利
衝突した勢力
フランス王国 グレートブリテン王国
指揮官
ガスパール=ジョゼフ・ショースグロ・ド・レリ ウィリアム・ブル
戦力
海兵隊84
民兵166
イロコイ族90
ヒューロン族20
正規兵111
被害者数
戦死1
負傷2
戦死76
捕囚35
ブル砦
ニューヨーク州

ブル砦の戦い(ブルとりでのたたかい、英 Battle of fort Bull、仏 fr:Bataille de Fort Bull)は、1756年3月27日フレンチ・インディアン戦争の初期に、フランスイギリスに対して仕掛けた攻撃である。

フランス軍大尉のガスパール=ジョゼフ・ショースグロ・ド・レリが、海兵隊民兵インディアン同盟兵の混成軍を率いて、オナイダ・キャリー(現在のニューヨーク州ローム)のブル砦を攻撃し、中にいたイギリス兵を皆殺しにした。フランス軍はこの砦に火をつけて退却した。

概要

補給路の破壊

1755年に、イギリス軍は北アメリカで積極に軍事行動を展開したが、実を結ばず、この年から翌1756年の冬にかけて、モホーク川からオンタリオ湖に沿って建てられた、砦のうちのいくつかで越冬に入っていた。一番人数が多いのがオスウィーゴ砦で、一連のイギリスの砦の一番端にあり、物資は他の砦からの補給に頼っていた。物資補給に関しては、オナイダ・キャリーの両端にある2つの砦が、大きな役割を負っていた。この2つのうち、モホーク川に面したウィリアムズ砦は、もう一方のブル砦よりも大きかった。ブル砦は、ウィリアムズ砦の数マイル(約3-5キロ)北で、ウッドクリークに面しており、複数の倉庫に矢来を巡らせた程度の規模だった。ここには、ウィリアム・ブルの指揮下にあるシャーリー連隊の兵が少人数駐屯しており、火薬弾薬を始め、翌年の軍事活動に向けての、軍用品がかなり蓄えられていた[1]

フランスは、今の勢いを維持することが必要であることをさとり、レリの400人にも及ぶ軍を、この、オスウィーゴ砦の補給線の要である、比較的守りの手薄な2つの砦に派遣した。レリはまずブル砦に進軍することにした。ウィリアム砦の駐屯兵150人に対して、ブル砦は60人だったからである。イギリス軍は哨兵すらも置いていなかった[2]

戦闘

サー・ウィリアム・ジョンソン

レリは、海兵隊、民兵、インディアンの同盟兵の混成軍を連れて、3月27日にブル砦についた。木の陰に隠れて、音をたてないように近づき、砦から100ヤード(約91メートル)の地点まで来た。インディアンたちが命令に背いて、雄たけびをあげたため、レリは、兵に銃剣を構えるよう命令した[3]野戦砲がなかったので、相手の不意を突くしかなかった。ブル砦の兵たちは、フランス軍が到着する直前に、どうにか砦の門を締めたものの、フランス軍は砦の銃眼から、駐屯兵の気を散らせるために発砲し、イギリス兵たちは岩石や手榴弾を投げてこれに応戦した。フランス軍が、何度か降伏を呼び掛けたものの、イギリス軍は応じなかった。その後、門がによって壊され、フランス軍が砦になだれ込み、これで多くのイギリス兵が殺され、頭皮を剥がれた。フランス軍は、4万5千ポンド(約20トン412キロ)の火薬が入った火薬庫に火をつけ、退却した。最後のこの放火で、木造の砦は燃え上がった。[4]。救援軍の指揮官としてサー・ウィリアム・ジョンソンが到着したが、遅きに失した。ジョンソンの報告には「イギリス兵全員がむごたらしく切り裂かれ、頭の皮を剥がれていた」とある[3]

1756年の5月から8月にかけて、4つの建物を備えた、星形要塞が建築され、ウッドクリーク砦と名付けられた。しかしこの砦も、8月に、新たなフランス軍の攻撃により破壊されることになる[3]

脚注

参考文献

外部リンク




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