ブルターニュ公時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 14:29 UTC 版)
「アルテュール3世 (ブルターニュ公)」の記事における「ブルターニュ公時代」の解説
後見していたフランソワ1世が1450年に死去すると(フランソワ1世は娘マルグリットとマリーをもうけたのみで男子がなかった)、遺言により末弟ピエール2世が後を継ぎ、ピエール2世に男子がない場合はピエール2世の女子よりもリッシュモンの継承順位が上にくることになった。ピエール2世もまた1457年に実子のないまま死去したため、リッシュモンはブルターニュ公位を継ぎ、ブルターニュ公アルテュール3世となった。 リッシュモンは元帥位を名誉に思い、返上せずに名乗り続けたが、ブルターニュ公領の半独立は貫き続けた。彼はブルターニュの外に持っていた所領に関しては絶対服従を誓ったが、ブルターニュ公領については単純服従のみであった。これがリッシュモンのフランスにおける評価を微妙にさせている最大の原因の1つである。 翌1458年にリッシュモンは健康を害し、65歳で死去した。嫡子がいないため甥のフランソワ2世、次いでその娘アンヌが後を継いだが、アンヌはシャルル8世に結婚を強要され、その死後にはルイ12世と再婚し、ブルターニュはフランス王家が相続し、王領へ併合された。王権の優越をリッシュモン元帥が確立した時点で、半独立領であるブルターニュ公領やブルゴーニュ公領がフランスに併合される道筋がつけられてしまったといえる。
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