ブリテン島の二足の竜のルーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 19:14 UTC 版)
「ワイバーン」の記事における「ブリテン島の二足の竜のルーツ」の解説
「二足の竜」は、ヨーロッパの他地域だけではなくブリテン島においても竜の図像として一般的なものの一つであった。1066年のヘイスティングズの戦いにおいてハロルド2世率いる当時のイングランド軍が二足の竜の軍旗を用いていたことがバイユーのタペストリーに刺繍されている。これ以前の竜の図像については詳しいことは分かっていない。「ローマのコホートが用いていたドラコと呼ばれる竜を象った旗が、ローマがブリテン島からの撤退した後もウェールズ人に受け継がれた。後にブリテン島に侵攻してきたアングロサクソン人が、敵対するウェールズの竜の旗を模倣した。これがハロルド2世の竜の旗へと連なる竜の図像のルーツである」などとする文献がある。しかし、こうしたウェールズの竜にまつわる史観は偽史書である「ブリタニア列王史」の記述に基づいたものであり、当時の遺物など物的証拠は存在しない。列王史の作者ジェフリー・オブ・モンマスの専門家であるTatlock (1933)は、当時のウェールズにおける竜文化の実在について否定的な見解を示しており、その中でも特に竜の旗については強く否定している。
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