フレディ・マーキュリー死後の音楽活動
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「ジョン・ディーコン」の記事における「フレディ・マーキュリー死後の音楽活動」の解説
マーキュリーの死後は音楽活動に消極的になり、追悼コンサートの参加にも当初は否定的で、メイとテイラーの強い説得によってようやく参加を決めたという。「フレディの声以外でクイーンの曲を演奏するのは考えられない」として、下記の数回以外に参加はしていない。 マーキュリー不在のクイーンに彼が参加した企画は以下の通り。 フレディ・マーキュリー追悼コンサート(1992年4月20日、イギリス・ウェンブリースタジアムで開催) 1993年9月18日クイーン名義でテイラーと出演したイングランドで行われたカウドレイ・ルィーンズ・コンサート(合同チャリティ・コンサート)。 モーリス・ベジャールバレエ団による「バレエ・フォー・ライフ」のオープニングイベントでエルトン・ジョンをボーカルに迎えての「ショウ・マスト・ゴー・オン」の演奏(1997年1月17日、パリで開催。このバレエはフレディとモーリス・ベジャールバレエ団に所属していて、エイズによって1992年に亡くなったジョルジュ・ドンに捧げられた物で、クイーンの曲に合わせてバレエが披露される) マーキュリーの死後、舞台に立ったことは以上三回しかない。他に、 アルバム『メイド・イン・ヘヴン』への参加(1995年) アルバム『クイーン・ロックス』に収められた「ノー・ワン・バット・ユー(オンリー・ザ・グッド・ダイ・ヤング)」(1997年発売。ダイアナ妃とマーキュリーに捧げられた新曲。ゲストボーカルは迎えず残された3人での演奏) ミュージカル「ウィ・ウィル・ロック・ユー」の初期構想への参加 がある。また1995年にはロンドン、シェパーズ・ブッシュ・エンパイアで行われたSASバンドのライヴに参加(息子マイケルの当時のバンド「Baker」が前座で出演)したとされている。
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