フライング・タイガー・ライン45便那覇沖墜落事故とは? わかりやすく解説

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フライング・タイガー・ライン45便那覇沖墜落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 03:33 UTC 版)

フライング・タイガー・ライン 45便
同型機のDC-8-63F
出来事の概要
日付 1970年7月27日
概要 特殊な気象条件によるCFIT(推測)
現場 アメリカ施政権下の沖縄那覇空軍基地
乗客数 0
乗員数 4
負傷者数 0
死者数 4 (全員)
生存者数 0
機種 ダグラス DC-8
運用者 フライング・タイガー・ライン
機体記号 N785FT
出発地 ロサンゼルス国際空港
第1経由地 サンフランシスコ国際空港
第2経由地 コールドベイ空港
第3経由地 東京国際空港
第4経由地 那覇空軍基地
第5経由地 啓徳空港
第6経由地 カムラン空軍基地
目的地 ダナン空軍基地
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フライング・タイガー・ライン45便那覇沖墜落事故(フライング・タイガー・ライン45びんなはおきついらくじこ)は、アメリカ軍占領下の沖縄那覇で発生したフライング・タイガー・ラインの貨物ジェット機の墜落事故である。

事故の概略

1970年7月27日アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスからサンフランシスコ及びワシントン州シアトルアラスカ州コールドベイを経由し、東京の羽田空港を9時29分に離陸したアメリカの航空貨物会社・フライング・タイガー・ライン45便は、琉球政府(当時アメリカの占領下であった沖縄)の那覇空軍基地に向けて飛行していた[1]

45便は、当時世界最大級の民間向け貨物機であったDC-8-63AF貨物機(機体記号N785FT)で運航されており、最終的には当時ベトナム戦争の最中であった南ベトナムダナン基地に向かうフライトプランであった[1]

同便はPAR進入により那覇空軍基地の滑走路18へ最終進入中であった11時36分に滑走路から670メートルの海上に墜落した[1][2]。この事故により運航乗務員4名が犠牲になった[1]。なお貨物機のために乗客は搭乗していなかった[1]

事故原因

事故機は計器飛行方式で沖縄に向かっていたが、最終進入中の段階で豪雨を伴った低く垂れ込めた雲の中から抜けた直後に海上に墜落したものであった[1]

NTSBの調査によれば、事故機は進入中に熱帯性の局地的な豪雨に遭遇しており、視程は1マイル(およそ1.6キロメートル)にも満たない状態であったが、豪雨をもたらした雲を事故機が通過した瞬間に、周囲の明るさが10 - 100倍にもなり、パイロットが一時的に盲目状態となり、操縦が困難になったことが原因と結論した[2]

脚注

  1. ^ a b c d e f ASN Aircraft accident McDonnell Douglas DC-8-63AF N785FT Okinawa-Naha AFB (AHA)” (英語). Aviation Safety Network. 2018年3月3日閲覧。
  2. ^ a b 宮城雅子『大事故の予兆をさぐる』講談社、1998年、128頁。ISBN 978-406257209-5 

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