フェリシアン・ダヴィッドとは? わかりやすく解説

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フェリシアン・ダヴィッド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/11 00:54 UTC 版)

フェリシアン・ダヴィッド
Félicien David
ヴァンサン・ヴィダル画、1858年
基本情報
生誕 1810年4月13日
フランス帝国カドネ
死没 (1876-08-29) 1876年8月29日(66歳没)
フランス共和国サン=ジェルマン=アン=レー
職業 作曲家

フェリシアン(=セザール)・ダヴィッド(Félicien [-César] David, 1810年4月13日 - 1876年8月29日)は、19世紀フランス作曲家

生涯

ヴォクリューズ県カドネの出身。エクスに出てイエズス会神学校に学ぶ。卒業後に音楽家として活動を始めるが、二十歳のころにパリ音楽院に入学。やがてサン=シモン主義に傾倒して音楽院を離れ、サン=シモンの会派のために中近東を広く旅行する。このときに異国のさまざまな民族音楽民謡に接し、そのときの印象をもとに、帰国後に中東風の楽想を多用した交響的オード《砂漠》(Le Désert 1844年)を作曲、成功を収める。この作品は19世紀フランス音楽における異国趣味の走りとなった。その後のピアノ曲やオペラにも、異国趣味を扱ったものが多い。

代表的なオペラには《エルキュラニュム英語版》(Herculanum グランドオペラ1859年)、《ララ・ルーク英語版》(Lalla-Roukh オペラ・コミック1862年)がある。 繊細で響きの美しいダヴィッドの音楽は直接の後継者であるジョルジュ・ビゼーによって称賛された[1]。 ダヴィッドは音楽における異国趣味の先駆者として東洋の景色をその楽曲の中に見事に表現した色彩効果の巧みな作曲家であった。そればかりか、その音楽が優しく表情に富んでいて、またメロディへの創意が大変独創的な書法を持った、詩魂豊かな人間であった。彼の偉大なオラトリオの数々、多くのオペラは音楽性に溢れている[2]

参考文献

  • 『ラルース世界音楽事典』 福武書店
  • 『オックスフォードオペラ大事典』ジョン・ウォラック (編集), ユアン・ウエスト (編集), 大崎滋生 (翻訳), 西原稔 (翻訳),平凡社(ISBN-13: 978-4582125214)

脚注

  1. ^ 『オックスフォードオペラ大事典』P362
  2. ^ 『ラルース世界音楽事典』P976

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