フィッティパルディ
2回のワールドチャンピオンに輝いたエマーソン・フィッティパルディの兄ウィルソンが設立したコンストラクター。1975年から活動を開始したが、当時エマーソンはマクラーレンでチャンピオン争いをしている状況で、チームは翌年からエマーソンがチームに加入することを前提としてマシン開発を進めた。最初のマシンFD03はリカルド・ディビラの手で設計され、最初の純ブラジル製マシンとなった。エマーソンは76年に加入し、3回6位に入ってチームはランキング11位となった。しかし、マシンは競争力に欠けるもので77年に11ポイント、78年に17ポイントを獲得したものの、80年限りでエマーソンは引退し、チームも82年に撤退した。
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