フィオーレ初代(1982年-1983年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 03:27 UTC 版)
「三菱・ランサー」の記事における「フィオーレ初代(1982年-1983年)」の解説
^ 5ドアセダン需要が根強い欧州市場への対応と基幹車種の姉妹車は5ドアセダンとする当時の三菱の方針から ^ 同時期に生産していたミラージュ4ドアセダンの輸出用がランサーを名乗っていた ^ ECIマルチ仕様と電子制御シングルキャブレター仕様が混在。 ^ ギャランがボディの大型化により3ナンバー化されたため。 ^ 6代目の途中まで。なお、ギャラン・ギャランΣの教習車は「ギャラン教習車」、「ギャランΣ教習車」とベースとなった車種名がついていた。 ^ ミラージュのハッチバックとクーペのアスティは廃止。 ^ 2社あった販売店「ギャラン店」と「カープラザ店」が統合されて「セディア」を名乗る必要がなくなったため。 ^ 主に東南アジアなどの発展途上国および新興国。 ^ なお、標準仕様の「MX-E」に限りFFのみCVT仕様のほか、5速MT仕様も設定。 ^ ただし、北米における9代目ギャランとはまったく別物であり、さらに日本以外の国ではランサーのまま発売されるため、ギャランのフルモデルチェンジや後継車種ではない。
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