ファンダーと再編党の議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/01 16:43 UTC 版)
「ジョン・W・ジョンストン」の記事における「ファンダーと再編党の議論」の解説
ジョンストンの経歴の中でも大きな問題となったのが、ファンダー対再編党の議論だった。ファンダーは、バージニア州が戦前の負債を全て償還すべき義務があると主張したのに対し、再編党はどれだけの責任があるかについて、より小さな数字を提案していた。この議論はバージニア州の保守党に終焉を迎えさせ、再編党と民主党を結成させることになった。ウィリアム・マホーンが再編党の首長に選ばれ、1879年には州議会を支配したが、知事までは当選させられなかった。続いて議会は、州選出アメリカ合衆国上院議員に民主党員ロバート・E・ウィザーズの後任としてマホーンを選出した。しかし、州知事の同意が無ければ、その再編を法制化することができなかった。その次のチャンスは1881年の選挙で訪れた。その目標は自党から知事に当選させることだったが、最も重要なのは議会支配を続けることであり、それゆえに「ジョン・W・ジョンストン殿の後継者」を選出することだった。再編党が成功し、議会は著名な再編者でマホーンの「親友」であるハリソン・H・リドルバーガーをジョンストンの後任に選んだ。票決の結果はリドルバーガー81票、ジョンストン49票だった。
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