ビジャリカ (チリ)とは? わかりやすく解説

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ビジャリカ (チリ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/02 02:31 UTC 版)

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ビジャリカ
Villarrica
位置

ラ・アラウカニア州内におけるビジャリカの位置
座標 : 南緯39度16分0秒 西経72度13分0秒 / 南緯39.26667度 西経72.21667度 / -39.26667; -72.21667
歴史
建設
行政
 チリ
  ラ・アラウカニア州
 県 カウティン県
 市 ビジャリカ
人口
人口 (2002年現在)
  市域 45,531人
その他
等時帯 CLT (UTC-4)
夏時間 CLST (UTC-3)
市外局番 +56+45

ビジャリカ(またはビリャリカ、Villarrica)は、チリラ・アラウカニア州カウティン県英語版都市面積1,291km2、人口約45,600人。

概要

ビジャリカは、首都サンティアゴの南746kmに位置する。標高246m。気候は穏やかで、毎年5~7月のからにかけては雨季となり湿度が高い。12~2月の乾季に当たる。

市の周辺には、東側のビジャリカ湖英語版を始めとして複数の湖があり、これらは海抜200~500mの標高にあるために、温和な気候が好まれ、夏にはウォータースポーツ日光浴の名所として知られている。また、トルテン川などの河川では釣りラフティングが盛んであり、などの景勝地も多い。南東には、スキー場で知られる標高2860mの富士山型ビジャリカ火山英語版があり、付近はコニャリペ(en)などの温泉に恵まれている。市街から36kmの距離にあるこれら自然豊かな地は国立公園(en)に指定され、環境が保存されている。市の経済は、これらリゾート地としての観光収入と穀物などの農業酪農、そして主要な産業である林業によって支えられている。

歴史

ビジャリカは1552年にヘロニモ・デ・アルデレデ(es)によって建設された。1554年のアルデレデの死より5年経過した後にガルシア・ウルタード・デ・メンドーサ英語版が再建した。1575年12月16日の巨大地震で町は壊滅したが、小規模の町として成長していった。アラウコ戦争におけるクララバの戦い英語版の後、ビオビオ川の南の最後のスペイン都市であったビジャリカは、3年の包囲を経て1603年2月7日に降伏し、町は破壊された。破壊の直前町には原住民を含まない600人を超えるスペイン人が居住していた。降伏時には、男性11名、女性13名が捕らえられただけであった。 アラウカニア制圧作戦時の1880年代に再興された。

出典

  • Microsoft Encarta 2007.

外部リンク

座標: 南緯39度16分 西経72度13分 / 南緯39.267度 西経72.217度 / -39.267; -72.217





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