パンチパーマ・ブラザーズの時代
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「グローバル・ハードコア・クラウン」の記事における「パンチパーマ・ブラザーズの時代」の解説
志賀への挑戦者の一人だった川畑輝鎮は、白GHC敗戦の罰として強制的にパンチパーマをかけさせられたが、これがきっかけで志賀とタッグを組む機会が増え意気投合し、ついには志賀に「どうしても川畑とベルトを獲りたい」と言わしめるまでになった。この理由でタッグトーナメントによる王座決定戦を主張し、志賀が王座を返上した為一旦空位となり、2007年2月の後楽園ホール大会及びディファ有明大会で王座決定トーナメントが開催された。結果、志賀&川畑のタッグチーム「パンチパーマ・ブラザーズ(通称:パンパーズ)」が決勝に勝ち上がった潮崎豪&谷口周平組との対決を制し、第6代王者となった。パンチパーマ・ブラザーズは特に若手の挑戦を歓迎し胸を貸していたが、結局タッグ王座としての白GHCはパンチパーマ・ブラザーズが守りきる形となった。 なお、タッグ王座に移行してからもチャンピオンベルトは1本のままであった。これは単純に費用の都合であるが、パンチパーマ・ブラザーズも「絆があればベルトは1本で十分」と了解していた。また、2007年7月には、パンチパーマ・ブラザーズが秋山準&力皇猛組の保持していたGHCタッグ王座に挑戦したが、こちらでは敗れたためタッグ2冠とはならなかった。 2007年11月、パンチパーマ・ブラザーズが互いのレベルアップを図ることを理由にタッグを発展解消し(後に再結成している)、白GHCもシングル王座に戻すことを決意。志賀とのパンチパーマ・ブラザーズ対決を制した川畑が第7代王者に就いた。川畑は約11ヵ月・5回の防衛を果たし、パンチパーマ・ブラザーズ及び、そのメンバーで2年以上ベルトを保持していた。
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