バレーボールケニア女子代表とは? わかりやすく解説

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バレーボールケニア女子代表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 03:05 UTC 版)

バレーボールケニア女子代表
国または地域  ケニア
大陸連盟 アフリカバレーボール連盟
協会 ケニアバレーボール協会
監督 ルイゾマール・デ・モウラ
国名コード KEN (Kenya)
FIVBランキング 21位(2024年3月版)[1]
オリンピック
出場回数 3回
初出場 2000 シドニー
最高成績 11位(2000、2004)
世界選手権
出場回数 5回
初出場 1994 世界選手権
最高成績 13位(1994、1998)
ワールドカップ
出場回数 6回
初出場 1991 ワールドカップ
最高成績 10位(2015)
アフリカ選手権
出場回数 14回
最高成績 優勝(1991、1993、1995、1997、2005、2007、2011、2013、2015、2023)
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バレーボールケニア女子代表(バレーボールケニアじょしだいひょう)は、バレーボールの国際大会で編成されるケニアの女子バレーボールナショナルチームである。マルキア・ストライカーズの愛称を持つ。

歴史

1964年国際バレーボール連盟へ加盟[2]。1991年から中学生レベルだったチームを、大西努が監督として指導を行いアフリカ選手権で優勝し、世界クラブ選手権に出場。1997年にかけて4連覇を達成した。

特に、協会役員の意識改革とナショナルチーム選手への規律(心)の厳しい指導を徹底して行いケニアバレーボールの基礎を構築した。

2000年シドニーオリンピックに初出場し、2004年アテネオリンピックで連続出場したが、2008年1月の北京オリンピックアフリカ予選で敗退した[3]。世界選手権は初出場の1994年大会から連続出場を果たしており、2006年大会では日本人の菅原貞敬が監督として指揮を執り、日本と対戦して話題になった。2009年からは入澤秀寛が監督に就いていた。2010年の世界選手権にはBグループで登場したが、勝利を奪えず予選ラウンド敗退の21位タイだった。2011年のアフリカ選手権において7度目の優勝を飾り、2大会連続でワールドカップ出場を決めた。

2020年、カメルーンヤウンデで行われたアフリカ予選で優勝し、2020年東京オリンピック出場を果たした。

過去の成績

オリンピックの成績

世界選手権の成績

1952年から1990年まで出場なし

ワールドカップの成績

アフリカ選手権の成績

歴代代表選手

脚注

関連項目

外部リンク




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