バルラームとヨサファト
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「仏教とキリスト教」の記事における「バルラームとヨサファト」の解説
詳細は「バルラームとヨサファト」を参照 ギリシアのバルラームとヨサファトの伝説は、誤って7世紀から8世紀のダマスコのイオアンに帰されることもあるが、最初に記録されたのは11世紀のアトスのエウテュミオスによってであり、アラビア語版とグルジア語版を通じて究極的にはブッダの生涯に由来する。王から僧になったヨアサフ(グルジア語で「ヨダサフ」、アラビア語で「ユーザハフ」あるいは「ブーザサハフ」)はその名をサンスクリットのボーディ・サットヴァに由来する。ボーディ・サットヴァとは、ブッダになる前のガウタマを示すのに伝統的に使われてきた言葉である[要出典]。 バルラームとヨサファトは正教会暦に8月26日の聖人として列されており、ローマ・カトリックの殉教者の一覧にも11月27日に載っている。二人の物語は中世に『Ben-Hamelekh Vehanazir』(王子とナジル人)としてヘブライ語に訳されている。以上のように仏教説話はキリスト教やユダヤ教の伝説に取り入れられている(ただしキリスト教側は「仏教説話を取り入れた」とは認識していない)。
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