バルサ材の導入
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1930年にはアメリカ合衆国のモデラー[誰?]が中米産の軽量木材であるバルサを模型機に使用して、格段と軽い機体を作ることに成功した。そのために、ゴム動力模型機は急上昇によって高高度を獲得する飛行法が可能になり、高空より滑空して滞空時間を稼ぐ戦術が効果を発揮するようになった。1930年度のウエークフィールド級世界選手権大会戦では、この戦法を採ったアメリカ機が旧来の重いイギリス機に圧勝し、模型航空機の滞空競技に新しい戦術をもたらした。 滞空競技において、高高度まで上昇して滑空で滞空時間を稼ぐという戦法は、以後も踏襲された。この飛行法だと、サーマルなどの上昇気流を利用することが出来るので、極端な長時間飛行が可能となる。1939年の世界選手権大会におけるD. コルダ機(米)の飛行時間は40数分に達した。
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バルサ材の導入
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「模型航空機のプロペラ」の記事における「バルサ材の導入」の解説
1930年ころ、バルサ材が使われるようになると、軽くて工作が容易なため、ゴム動力機のプロペラはバルサ製が多くなった。1950年代までの日本では、バルサの代替品としてキリ材のプロペラも使われた。
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