ニーコン_(モスクワ総主教)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ニーコン_(モスクワ総主教)の意味・解説 

ニーコン (モスクワ総主教)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 20:31 UTC 版)

ニーコンニコンとも。: Никон,патриарх Московский, 1605年5月7日 - 1681年8月17日)は、モスクワおよび全ルーシの総主教(在位:1652年 - 1666年)である。ロマノフ朝2代目のツァーリアレクセイ(在位:1645年 - 1676年)によって、1652年、47歳のときに総主教に任命され、一連の改革を行った。ツァーリの庇護のもと政治的にも権勢をふるったが、傲慢な態度が災いし、1666年のモスクワの教会会議にて総主教の地位を剥奪される。ニーコンが主導した改革のなかでも、もっとも大きな影響を与えたのは、1653年に始まる教会の儀礼改革(奉神礼改革)である。彼の改革のためにロシア正教は分裂し、その余波は20世紀後半にまで至る[1]


  1. ^ 嘆願書の文面を白石の著書から引用する。「詐欺師や道化師たちは(中略)十数人の群れを成して横行し、ある連中が教会を出たかと思うと、また別の連中が入ってくる。彼らは、教会の中で反抗的になり、騒動をおこし、喧嘩をし、罵り合う。……或る者は狂人を装い、或る者は隠遁者風に黒衣を着こみ、足枷(あしかせ)をはめ、乱髪で歩く。また、或る者は、足に人糞や血を塗りつけて教会を渡り歩く」(白石、発行年=1997、pp116-117)
  2. ^ 16世紀にイヴァン4世が出した『百章令』において、十字の画き方が決められていた。

    「右手の親指と下の二本の指をひとつにあわせ、人差し指と中指を立てて広げすこし曲げた状態で十字を切る(画く)こと」

    (中村,1995年、p428)


「ニーコン (モスクワ総主教)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ニーコン_(モスクワ総主教)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ニーコン_(モスクワ総主教)」の関連用語

ニーコン_(モスクワ総主教)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ニーコン_(モスクワ総主教)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのニーコン (モスクワ総主教) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS