ニューヨーク生命保険会社・セントルイス万国博覧会・鉄道工事
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「橋本梅太郎」の記事における「ニューヨーク生命保険会社・セントルイス万国博覧会・鉄道工事」の解説
帰国すると1903年(明治36年)ニューヨーク生命保険会社に勤務し、九州支社の支社長になったが、支社が閉店となり、1904年(明治37年)には会社が日本を撤退する事になったので退職した。その年の3月には渡米して、セントルイス万国博覧会で日本出品の販売部主任を務めた。その時知り合った米国人に依頼されて、グランド・トランク・レールウェイ鉄道工事の監督になり、日本人労働者五百人を率いてロッキー山中の難工事を成し遂げた。自らシャベルを手にして現場で働いたり、病人や怪我人を自ら手厚く看護して労働者の士気を高めたおかげだった。1908年(明治41年)に帰国すると、東京の赤坂に居を定めて、米国相手の契約書作成を請け負って高収入を得た。
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