ドゥデシティ地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 01:06 UTC 版)
ドゥデシティ地区は、バカレシュティ地区の東側に位置する。1980年代より以前、この地区の境界は、北端がマテイ・バサラブ通りとラビリント通り、東端がポパ・ナン通りとテオドール・スペランタ通り、南端がモルジ・ボイエボド通りとパパゾグル通り、西端がオルテニ通りとミルチャ・ボダ通りであった。また、地区内には、ドゥデシティ通りとアブラム・ゴルトファーデン通りの幹線道路が走っていた。 地区の中央部は、社会主義の勝利大通りを建設するために、完全に取り壊されたが、その北部や南部に関しては、それほど大きな取り壊しが行われることはなかった。この地区の建物は、19世紀の後半から20世紀のはじめにかけて建てられたものが多く、古い並木道に沿って建ち並んでいた。地区の北部には、新古典主義の装飾が施された中間層の住宅が多くみられるのに対し、南部は下位中産階級が多く、より質素な住宅がほとんどを占めている。また、ドゥデシティ地区とバカレシュティ地区は歴史的にユダヤ人が多く住む地区として知られた。この地区での取り壊しは、およそ110ヘクタールに及んだ。
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