テクシャンの幻滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 16:29 UTC 版)
テクシャンはメキシコ政府に対してますます幻滅するようになった。テキサスに駐屯したメキシコ軍兵士の多くは、刑務所に入るかテキサスで兵役につくかの選択を与えられた、犯罪者だった。テクシャンの多くは州都の場所にも不満で、それは定期的にサルティリョとモンクロバの間で移動していたが、どちらも500マイル (800 km) ほど離れた南のコアウイラにあった。彼らはテキサスをコアウイラから分離した州(メキシコから独立するのではなく)にして、自身の首都を持つことを望んだ。彼らは、首都が近ければ、汚職も取り除けて他の政治の問題も容易にすることができると信じていた。公民の一部は、メキシコではないが、アメリカにいた時にはあった権利に慣れていた。例えばメキシコは宗教の自由を保護せず、その代わりにカトリック教会の受け入れを誓約させられた。奴隷制が合法であったアメリカ合衆国南部の諸州と異なり、メキシコの奴隷の地位はあいまいなものだった。1829年に就任したビセンテ・ゲレーロ大統領は公式にメキシコにおける奴隷制を非合法としたが、政府は奴隷の売買については厳しいが奴隷の所持については寛容だった。これらのことが摩擦を引き起こしてはいたが、彼らはまとまって反乱を起こすよう入植者を煽動するのには十分ではなかった。
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