チームランナーズパルス所属時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 04:12 UTC 版)
「吉田香織」の記事における「チームランナーズパルス所属時代」の解説
資格停止期間の間に、雑誌『Runners Pulse』(創芸社)が関連するクラブチーム・チームランナーズパルスにヘッドコーチ兼任として移籍。復帰戦となる2015年3月のソウル国際マラソンで11位、8月の北海道マラソンで2位入賞。 2015年11月15日に行われた、リオデジャネイロオリンピック女子マラソン国内選考会の第1回さいたま国際マラソンでは、日本人最高となる2位に入賞。但し優勝者のアツェデ・バイサ(エチオピア)から丁度3分遅れ、又ゴールタイムも2時間28分台と、日本陸連の五輪派遣記録である「2時間22分30秒」から約6分も遅い為、リオ五輪の日本代表入りは厳しい状況となる。リオ五輪女子マラソン最終選考会だった、翌2016年3月13日開催の名古屋ウィメンズマラソンにも一般参加でエントリーしていたが、故障により欠場を表明した。 2016年5月に行われたWINGS FOR LIFE WORLD RUNで65.71キロメートルを走破、女子の部のワールドチャンピオンとなる。
※この「チームランナーズパルス所属時代」の解説は、「吉田香織」の解説の一部です。
「チームランナーズパルス所属時代」を含む「吉田香織」の記事については、「吉田香織」の概要を参照ください。
- チームランナーズパルス所属時代のページへのリンク