チョートン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 20:02 UTC 版)
「ジェイン・オースティン」の記事における「チョートン時代」の解説
1809年に妻を亡くしたエドワードの勧めでチョートンへと移る。エドワードの妻は裕福で、所有していたコテージで生活するようになった。この家は現在ジェイン・オースティンズ・ハウス博物館として一般に開放されている。 1811年、「マンスフィールド・パーク」を起稿し、さらに『分別と多感』を匿名で出版。さらに1813年1月には「第一印象」をもとにした『高慢と偏見』を出版した。なお、作品はすべて匿名で発表され、親しい者にも明かさなかった。1814年5月には『マンスフィールド・パーク』を刊行するが、読者や文壇からジェイン・オースティンという名前が知られることはなかった。だが1815年10月、『エマ』の出版直前に、偶然が重なり摂政王太子ジョージ(のちのジョージ4世)にもてなされた。王太子はジェインの作品の愛読者であり、そこで急遽『エマ』が献呈されることとなった。 1816年になるとオースティンは体調を崩しがちになり(現在ではアジソン病に罹患していたと考えられている)、病状は一進一退を繰り返し、翌1817年5月には療養のためハンプシャーのウィンチェスターへと移ったが、その2か月後の7月18日に死去した。その亡骸はウィンチェスター大聖堂に葬られ、1818年に『ノーサンガー・アビー』と『説得』が出版された。
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