ダンツィヒへの飛行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:23 UTC 版)
「Fa 223 (航空機)」の記事における「ダンツィヒへの飛行」の解説
1945年2月フォッケ・アハゲリス社は残存した5機のドラッヘの内2機を手元に置き、何とか新しい機体を生産しようとしていた。2月25日に突如、ダンツィヒへ飛ぶようにという「総統からの特別命令」が発せられた。 2月26日にゲルステンハウアーと2人の副操縦士がテンペルホーフ空港から離陸した。最初に機は南西のヴュルツブルク方向へ飛んだが、ゲルステンハウアーは悪天候により方向感覚を失いクライルスハイムに着陸しなければならなかった。天候が回復すると再び飛び立ち給油のためにヴュルツブルクに着陸した。翌日、北東方向へ飛び、ヴェルダー(Werder)までの500 km (310 mi)の無着陸飛行を行った。 3日目ドラッヘはシュテティン=アルトダム(Stettin-Altdamm)へ向けて北東へ飛行を続けたが、再び天候が悪化して今度はプレンツラウ(Prenzlau)に着陸させられた。翌日、飛行を再開しようとしたが天候は回復せずに夜の間ダンツィヒの西、ストルプ(Stolp)に停まった。 3月5日には戦況は非常に悪化し、ゲルステンハウアーは赤軍が来る前にストルプを離れなければならないと判断した。彼らは離陸し前進する赤軍の頭上を飛行し直接ダンツィヒに向かったが、ダンツィヒに到着したときには街が既に陥落したことを知っただけであった。次の命令を待つために街の外に着陸したが、次の命令とはヴェルデルへ帰還せよというものであった。ゲルステンハウアーらはガルツ(Garz)経由でバルト海沿岸を長距離飛び、3月11日になってようやくヴェルデルに到着した。 総飛行距離は1,500 km (930 mi)、飛行時間は16時間25分に達した。
※この「ダンツィヒへの飛行」の解説は、「Fa 223 (航空機)」の解説の一部です。
「ダンツィヒへの飛行」を含む「Fa 223 (航空機)」の記事については、「Fa 223 (航空機)」の概要を参照ください。
- ダンツィヒへの飛行のページへのリンク