ターリバーン結成
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「ムハンマド・オマル」の記事における「ターリバーン結成」の解説
オマルがターリバーンの指導者となった経緯については複数の説がある。一説によると、政治的・軍事的能力ではなく、敬虔で揺るぎないイスラームへの信仰を持っていたから選ばれた。オマルは神によって選ばれたとする説もある。これによるとオマルは、アフガニスタン内戦の最中の1994年、自身の夢に預言者ムハンマドが現れて、武装決起を命じ、味方することを告げた。オマルはその頃から、周りの友人達と治安回復を話し合っていた。周囲はオマルを「ムッラー」(物知り)と呼んだ。オマルはマドラサでの50人にも満たない教え子たちと「ターリバーン」(アラビア語で「学生」の意)と呼ばれる運動を開始、そこにパキスタンにいるアフガン難民らも合流した。1994年の段階でもターリバーンの勢力は30名ほどでライフルも16丁しかなかったと言われる。腐敗した軍閥に憤っていたターリバーンは軍閥に誘拐された少女らを救出して人々の支持を得、ターリバーンには他のイスラーム神学校からも多数が参加するようになった。一大勢力に成長したターリバーンは1995年にはヘラートを占領した。
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