タンジール演説とカサブランカ虐殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 07:20 UTC 版)
「フランス保護領モロッコ」の記事における「タンジール演説とカサブランカ虐殺事件」の解説
1947年、スルタン・ムハンマド5世は、当時のタンジール国際地帯で、自国の植民地主義からの独立と領土の統一を訴える演説を計画した。 スルタンの演説を前に、カサブランカのフランス植民地軍、特にフランス植民地帝国に仕えるセネガル・ティライユール(英語版)が、モロッコの労働者を大量に虐殺した。この虐殺は1947年4月7日から8日にかけて約24時間続き、ティライユールは労働者の居住区にある住宅に乱射し、180人のモロッコ人市民が犠牲になった。スルタンは、カサブランカに戻り犠牲者の家族を慰めた後、タンジールに向かい、メンドゥビア宮殿の庭で歴史的な演説を行ったのである。
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