タンカ・プラサード・アーチャリヤ
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タンカ・プラサード・アーチャリヤ(英語: Tanka Prasad Acharya、ネパール語: टंक प्रसाद आचार्य、1912年 - 1992年4月23日)は、ネパール王国の政治家。ネパール人民評議会の創立リーダーである。1956年1月27日から1957年7月26日まで、ネパール王国の首相を務めている[1]。
生涯
1956年1月27日、マヘンドラ国王により首相に任命され、七人からなる内閣を組閣した[2]。
だが、内閣の閣僚のうち3人は国王勅任の閣僚であり、彼らは経済、防衛、議会担当の地位に就いた[3]。そのため、勅任閣僚と折り合いがつかず、翌年7月に辞表を出した。
この間、1956年10月12日、夫人とともに国賓として来日。同月16日には皇居で行われた宮中午餐に出席した[4]。
1992年4月23日、腎不全のため病院で死去、80歳没[5]。
脚注
- ^ “worldstatesmen.org/Nepal” (英語). worldstatesmen.org. 2009年5月15日閲覧。
- ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.637
- ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.638
- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十二』東京書籍、2017年3月28日、233頁。ISBN 978-4-487-74412-1。
- ^ “Tanka Prasad Acharya, 78, Ex-Nepal Chief” (英語). ニューヨーク・タイムズ. (1992年4月25日) 2009年5月15日閲覧。
参考文献
- 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。
関連項目
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