タレント専属制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:47 UTC 版)
東京吉本は大阪吉本とは独自に「タレント専属制」を採っていた。当時東京吉本の専属だったのは、人気落語家で喜劇俳優の柳家金語楼、三味線漫談の柳家三亀松を筆頭に、ボーイズ物の元祖・あきれたぼういず (川田義雄、坊屋三郎、益田喜頓、芝利英)、「のんき節」の石田一松、司会者の松井翠声、東京漫才の元祖・林家染団治・小川雅子(染団治は帝都漫才組合会長)、元祖外国人タレント・ミス・バージニア、コメディアンの木下華声(元江戸家猫八)、永田キング、伴淳三郎などである。またアメリカ流のバラエティショウを目指す東京吉本は、アメリカ帰りの中川三郎、中川と名コンビを組んだ姫宮接子、子役タップダンサーのマーガレット・ユキ、ミミー宮島など多くのタップダンサーも抱えていた。さらに「吉本ショウ」は専属のダンサー・チームと楽団を持っていたが、後者には江利チエミの父である久保益雄や、戦後コメディアンとして大成する「ブーちゃん」こと市村俊幸がピアニストとして在籍していたことも特筆される。 こうした東京吉本のモダン・ハイカラ路線を支えたのが、優秀なスタッフの存在であった。モダン・ハイカラ路線を打ち出したのは東京吉本を率いる林弘高自身であり、その背景には大阪吉本を率いる兄の林正之助への対抗心もあったと思われる。しかし東京吉本の文芸部には当時サトウ・ハチローや阿木翁助など多彩な作家が在籍し、弘高のブレーンとして東京吉本のモダン・ハイカラ路線を支えたことは見逃せない。
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