タイタス・オーツを巡る騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 03:10 UTC 版)
「ネル・グウィン」の記事における「タイタス・オーツを巡る騒動」の解説
1673年にホイッグ党の陰謀者タイタス・オーツが、カトリック教徒がプロテスタントを虐殺してロンドンに火を放ち、チャールズ2世を暗殺して弟のヨーク公ジェームズを王位につけるつもりだと公言した。ロンドンは大混乱に陥り、海軍省書記官のサミュエル・ピープスまでが、秘書と共に無差別のカトリック一斉検挙で投獄されてしまった。ピープスは、ネルの舞台を観てファンになり、その後に友人になっていた。ネルはチャールズ2世にピープスの無実を訴え、彼を暗殺犯のリストから取り除いてくれるように頼んでもいる。 「カトリック陰謀事件」も参照 タイタス・オーツの陰謀により、カトリックへの急進的な反発が渦巻いていた頃、ネルの乗った馬車がオックスフォードで群集に取り囲まれるという事件が起きた。彼らはネルの馬車に王家の紋章が付いていたため、ルイーズ・ケルアイユの馬車だと思ったのであった。ネルは窓から顔を出すと「皆さん、乱暴しないで。私はプロテスタントの娼婦よ!」と叫んだ。群衆は、「ネルが一緒なら仕方ないや。」と殺気だった雰囲気が薄れ、すぐに「ネル!ネル!」の大合唱が起こり、馬車を通したという。
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