ソビエト連邦における工場疎開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 17:57 UTC 版)
「疎開」の記事における「ソビエト連邦における工場疎開」の解説
ソビエト連邦においても、独ソ戦開戦に伴い、ウラル山脈以西のウクライナやベラルーシ、ヨーロッパ・ロシアに存在した各種工場の設備や技術者を、ナチス・ドイツによる接収(ひいては兵器生産・供給体制の破綻)から守るためウラル山脈以東の各地へ疎開させている。 一例として、ウクライナのハリコフにあった第183戦車工場(現:V・O・マールィシェウ記念工場)は、独ソ戦開戦に伴いスヴェルドロフスク州のニジニ・タギルへ疎開し、現地のウラル貨車工場(ウラルヴァゴンザヴォード(ロシア語版、英語版))と合併してT-34戦車の生産を続けた。
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