セーレン・レアビーとは? わかりやすく解説

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セーレン・レアビー

(セーアン・レアビー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/07 01:24 UTC 版)

セーレン・レアビー
名前
ラテン文字 Søren Lerby
基本情報
国籍  デンマーク
生年月日 (1958-02-01) 1958年2月1日(67歳)
出身地 コペンハーゲン
身長 184cm 
体重 82kg 
選手情報
ポジション MF
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1975 BKフレマド・アマー 13 (3)
1975-1983 アヤックス・アムステルダム 206 (66)
1983-1986 FCバイエルン・ミュンヘン 89 (22)
1986-1987 ASモナコ 27 (3)
1987-1990 PSVアイントホーフェン 81 (16)
代表歴
1973-1975 デンマーク U-17 3 (0)
1974-1976 デンマーク U-19 14 (2)
1976-1977 デンマーク U-21 3 (0)
1978-1989 デンマーク 67 (10)
監督歴
1991-1992 FCバイエルン・ミュンヘン
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

セーレン・レアビーSøren Lerby, 1958年2月1日 - )は、デンマーク出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはMF。セットプレーを得意としていた[1]。MFとして高い得点力を持ち、1979-80シーズンのチャンピオンズカップラウンド16のオモニア・ニコシア戦では5ゴールを(このシーズンのチャンピオンズカップではトータル8ゴールを決め[2]、大会得点王となった。)[2]、1984-85シーズン、第2節のヴェルダー・ブレーメン戦ではハットトリックを決めるなど[2]、公式戦では通算459試合120ゴールという成績をのこした[1]

経歴

左利きのゲームメーカー。1975年、17歳の時に契約したオランダのアヤックス・アムステルダムでは在籍した8年間に5度のリーグ制覇、1983年に移籍したドイツのFCバイエルン・ミュンヘンでは引退したパウル・ブライトナーの後継者として2度のリーグ制覇、ASモナコを経て、1987年に移籍したオランダのPSVアイントホーフェンでは2度のリーグと、1度のUEFAチャンピオンズカップ制覇とタイトルに恵まれ、 デンマーク代表では3-5-2システムの左サイドハーフを担当し、ダニッシュ・ダイナマイトと呼ばれた攻撃的なチームの一員として1984年の欧州選手権では準決勝まで進出、1986年のワールドカップではグループリーグのウルグアイ戦で1ゴール2アシストを決めた[3]

1988年のUEFAチャンピオンズカップ決勝のベンフィカ戦では先発フル出場、PK戦では5人目のキッカーとしてPKを成功させ[4]、優勝に貢献したが、この時負った怪我が元で1989年に現役を引退した。

その後1991年10月9日から半年間バイエルン・ミュンヘンで、解任されたユップ・ハインケスの後を受け監督を務めたのち、現在はFIFA公認選手代理人としてオランダ代表のラファエル・ファン・デル・ファールトらの代理人を務めている。

獲得タイトル

アヤックス・アムステルダム
PSVアイントホーフェン
FCバイエルン・ミュンヘン

脚注

出典

外部リンク




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