セバイ暗殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 09:26 UTC 版)
「エジプト軍によるラルナカ国際空港襲撃」の記事における「セバイ暗殺事件」の解説
1978年2月18日、キプロスのニコシアで開催中のアジア・アフリカ人民連帯機構(Afro-Asian Peoples' Solidarity Organization, AAPSO)代表者会議の会場に、2名の武装した男が侵入した。そして、エジプトから出席していたユーセフ・エル・セバイ書記長に向かって拳銃を発砲、射殺する暗殺事件が発生した。 犯人はヨルダンとクウェート出身のアラブ過激派だった。事件を起こした動機は、当時のエジプトのアンワル・アッ=サーダート政権が、イスラエルに融和的な外交方針を採っていたことへの反発であった。殺害されたセバイは、エジプト政府を支持するアル=アハラム紙の会長で、サーダート大統領とは軍勤務時代からの友人という人物だった。パレスチナ解放機構(PLO)とエリトリア解放戦線(ELF)の関与が疑われたが、いずれも否定する声明を発表している。ベイルートで発行の親リビア紙「アルキファ」「アルアラビ」は、暗殺を称賛する報道を行った。
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