セイド・サイードとは? わかりやすく解説

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サイイド・サイード

(セイド・サイード から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 13:34 UTC 版)

サイイド・サイード
سعيد بن سلطان
オマーン国王
サイード大王
在位 1806年 - 1856年10月19日

全名 サイイド・サイード・ビン・スルターン・アル=サイード
سعيد بن سلطان
出生 1791年6月5日
オマーン帝国、サマイル
死去 1856年10月19日(66歳)
セーシェル
子女 スワイニー
トゥルキー
マージド
バルガッシュ
ハリーファ1世
アリー1世
ムハンマド
家名 ブーサイード家
王朝 ブーサイード朝
父親 スルターン・ビン・アフマド
宗教 イスラム教イバード派
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サイイド・サイードアラビア語: سعيد بن سلطان Sa‘id bin Sulṭān, Sayyid Said bin Sultan Al-Said、1791年6月5日 - 1856年10月19日)は、オマーンブーサイード朝第5代[要出典]スルターン(在位:1806年[1] - 1856年10月19日)。オマーンの最盛期を現出し、サイード大王とも呼ばれる。オマーンの勢力を東アフリカにまで広げ、オマーン海上帝国と呼ばれる大交易帝国を築き上げた。

東アフリカへの進出

サイードが即位したとき、オマーン本土の経済は少しずつ衰えていた。18世紀にはエジプトの政情不安によってペルシア湾経由での交易が盛んになっており、ペルシア湾交易の喉首を押さえるオマーンの首都・マスカットは交易船でにぎわったものの、19世紀になるとエジプトの状態は回復に向かっており、マスカットの賑わいは過去のものとなりつつあった[2]。オマーンは17世紀ヤアーリバ朝の時代にポルトガルを駆逐し、東アフリカに勢力を伸ばしたものの、その後のオマーン本土の混乱によりアフリカ諸都市のオマーン人豪族が相次いで独立し、サイードの時代にはザンジバルだけがかろうじてオマーンの支配下に残っている状態だった[3]

1828年、サイードは自ら旗艦リバプール号(イギリスに注文した帆船)に乗り込み、モンバサをはじめとするアフリカ東部沿岸の諸都市を攻撃した。ヤアーリバ朝からリワリ(総督)の地位を与えられたモンバサのマズルイ家はブーサイード家の支配を認めず、サイードとマズルイ家の戦争は1837年まで続いた[4]。サイードはソマリアからモザンビークとの国境にいたる東アフリカの沿岸をオマーン領に組み入れ、東アフリカのスワヒリ諸都市は史上初めて緩やかな連合体として統一を達成する[5]

ザンジバルへの遷都

1840年、サイードはザンジバルストーン・タウンを建設し、首都を移した。当時ザンジバルは奴隷貿易の中心地として栄えており、インド洋交易の中心地となっていた。サイードはザンジバルにチョウジを移植し、やがてチョウジはザンジバルの特産品としてザンジバル経済を支えることとなった。オマーンは帆船による大船団を所持しており、欧米諸国とも交易を行い、正式な外交関係も持っていた。ザンジバルには欧米各国の領事館が建てられ、オマーンはイギリスと並ぶインド洋の二大海洋帝国となっていた。

1856年、サイードが死去したのち、後継者争いが起き、国土はオマーンとザンジバル(東アフリカ沿岸を含む)に分割された。

脚注

  1. ^ 松尾昌樹『オマーンの国史の誕生』(宇都宮大学国際学部国際学叢書, 御茶の水書房, 2013年2月)、9頁
  2. ^ 福田「ペルシア湾と紅海の間」『イスラーム・環インド洋世界』、136頁
  3. ^ 福田「ペルシア湾と紅海の間」『イスラーム・環インド洋世界』、138頁
  4. ^ 富永『スワヒリ都市の盛衰』、47頁
  5. ^ 富永『スワヒリ都市の盛衰』、51頁

参考文献

  • 富永智津子『スワヒリ都市の盛衰』(世界史リブレット, 山川出版社, 2008年12月)
  • 福田安志「ペルシア湾と紅海の間」『イスラーム・環インド洋世界』収録(岩波講座世界歴史14, 岩波書店, 2000年3月)



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