セイダー (護衛空母)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > セイダー (護衛空母)の意味・解説 

セイダー (護衛空母)

(セイダー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/16 02:10 UTC 版)

1946年5月4日撮影
艦歴
発注:
起工: 1944年9月29日
進水: 1945年3月17日
就役: 1945年9月4日
退役: 1947年9月12日
その後: 1971年10月22日にスクラップとして売却
除籍: 1970年12月1日
性能諸元
排水量: 11,373トン(基準)
全長: 169.9m
全幅: 32.05m
吃水: 8.5m
機関: 4基筒蒸気タービン×2基
スクリュープロペラ×2軸
最大速: 19ノット
航続距離:
乗員: 士官、兵員1,066名
兵装: 38口径5インチ単装砲 2基
40mm4連装機銃 3基
40mm連装機銃 12基
20mm機銃 20基
搭載機: 戦闘機×18機
艦上攻撃機×12機

セイダー (USS Saidor, CVE-117) は、アメリカ海軍護衛空母コメンスメント・ベイ級航空母艦の13番艦。

“セイダー(Saidor)”の名は、1944年1月2日に上陸作戦が行われ同年2月まで戦闘が行われたパプアニューギニアの地名および戦場名[1]に因む。

艦歴

当初はサルテリー・ベイSaltery Bay) の艦名であったが、1944年6月5日にセイダーに改名された。1944年9月29日にワシントン州タコマトッド造船所で起工し、1945年3月17日にウォルター・F・ブーン夫人によって進水、1945年9月4日にA・P・ストーズ艦長の指揮下就役した。

西海岸での整調後、セイダーは1945年12月12日から1946年3月20日まで真珠湾を拠点として活動した。4月16日から4月22日までバージニア州ノーフォークで活動し、その後パナマ運河経由で西海岸に帰港した。5月6日にカリフォルニア州サンディエゴを出港し、5月24日にビキニ環礁に到着、原爆実験のクロスロード作戦において写真現像を担当した。7月1日および7月25日の核実験で、セイダーは各目標に対する原爆の破壊力をレポート化し、フィルムの現像処理を行った。8月4日にビキニ環礁を出航、サンディエゴに帰還すると1947年まで同地に留まり、その後不活性化が行われた。

セイダーは1947年9月12日に退役し、サンディエゴの太平洋予備役艦隊で保管された。1955年6月12日に CVHE-117(護衛ヘリ空母)に艦種変更され、1959年5月7日に AKV-17(貨物航空機運搬艦)に再変更された。1970年12月1日に除籍され、1971年10月22日にオレゴン州ポートランドのアメリカン・シップ・ディスマントラーズ社にスクラップとして売却された。

脚注

  1. ^

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「セイダー (護衛空母)」の関連用語

セイダー (護衛空母)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



セイダー (護衛空母)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのセイダー (護衛空母) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS