スペイン系ハプスブルク家(アブスブルゴ家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 17:48 UTC 版)
「ハプスブルク家」の記事における「スペイン系ハプスブルク家(アブスブルゴ家)」の解説
「スペイン・ハプスブルク朝」も参照 スペイン系ハプスブルク家またはスペイン・ハプスブルク(エスパーニャ・アブスブルゴ、スペインでは通常はカサ・デ・アウストリアと呼ばれる)家は、1580年から1640年までポルトガル王を兼ね、海外植民地を含めて「日の沈まぬ帝国」を実現した。フェリペ2世の在位中に最盛期を迎えるが、無敵艦隊の壊滅を契機としてその勢力は下り坂に入り、八十年戦争やフランス・スペイン戦争(西仏戦争)に敗れてヨーロッパの覇権を失った。 また、オーストリア・ハプスブルク家との度重なる近親婚のためか、病弱な王が続いた。 1700年、虚弱なカルロス2世の死によって断絶した後、スペイン継承戦争を経て王位をスペイン・ブルボン家に譲った。
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