ジンバブエ・ローデシア
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- ジンバブエ=ローデシア共和国
- Republic of Zimbabwe-Rhodesia
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← 1979年
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(国旗) (国章) - 国歌: [[ジンバブエ=ローデシアの国歌|ローデシアよ、声を上げろ ]]
ジンバブエ・ローデシア-
公用語 英語 首都 ソールズベリ 通貨 ローデシア・ドル
ジンバブエ・ローデシア(英語: Zimbabwe-Rhodesia)は、ローデシアが名称を変更した国名。ジンバブエ・ローデシアは、スミス政権と穏健派アフリカ人解放組織との間で行われた「内部解決」によって誕生した。
概要
1978年3月3日に、暫定政府の構成と新憲法に関する協定である「ソールズベリー協定」が調印された。このソールズベリー協定に基づいたジンバブエ・ローデシア憲法が1979年1月2日に発表され、1月31日、大多数が白人選挙人が占める国民投票によって承認された。新憲法に基づき、1979年4月17日から5日間、ローデシア初の一人一票制にもとづく総選挙(投票率64.5%)が実施され、その結果、アベル・ムゾレワ率いるUANCが得票率67%、51議席を獲得して第一党となり、1979年6月1日、「ジンバブエ・ローデシア」という新たな国名のもとに、アベル・ムゾレワを首班とする初の黒人政権が誕生したのだった。
しかし国内の混乱は収まらず、ロンドンで制憲会議が始まった1979年9月10日以降も、政府軍とゲリラとの間で激しい戦闘が行われた。会議開始から1か月間の死者数は、ローデシア時代を上回る約850人となった[1]。
脚注
- ^ 数字 『朝日新聞』1979年(昭和54年)10月14日朝刊 13版 7面
関連項目
外部リンク
- Institute of Rhodesian Army - ローデシア問題 - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)
ジンバブエ・ローデシア
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「ジンバブエの国旗」の記事における「ジンバブエ・ローデシア」の解説
詳細は「ジンバブエ・ローデシア」を参照 ジンバブエ・ローデシアは1979年6月1日から1980年4月18日まで使用された国名で、白人主導で人種差別政策を進めるローデシア共和国内で黒人国家の樹立を争った際、1978年にイアン・スミス首相と黒人指導者の内部合意 (Internal settlement) に基づく名前である。その際の国旗として使用されたものが、現在の国旗の元になった旗である。
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