ジョン・ハート (ラグビー指導者)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジョン・ハート (ラグビー指導者)の意味・解説 

ジョン・ハート (ラグビー指導者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 19:08 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

ジョン・ハートJohn Hart, ONZM, 1946年? - )は、ニュージーランド出身のラグビー指導者。元ラグビーニュージーランド代表オールブラックスヘッドコーチ

経歴

オークランド地区にてラグビー指導者として活躍する。オークランド州代表ヘッドコーチとして、1982年1984年1985年にはニュージーランド州代表選手権(NPC)優勝を果たす。オークランド州代表チームを「オールブラックスの次に強いチーム」に育て上げる。1987年ラグビーワールドカップにて、オールブラックスのアシスタントコーチに選ばれ、オールブラックス優勝に貢献する。同じくアシスタントコーチを務めたアレックス・ワイリーとの選考に敗れ、次期オールブラックスヘッドコーチに落選。新任のワイリーヘッドコーチの下、アシスタントコーチ就任を拒否したが、その後1991年ラグビーワールドカップにおいてワイリーとのオールブラックス共同コーチに就任。性格の合わないハートとワイリーはメディアの格好の標的にされる。オールブラックスはラグビーワールドカップ準決勝で敗退し3位に終わりワイリーは辞任する。ワイリーの後任としてオールブラックスヘッドコーチ候補になるもラウリー・メインズに敗れる。1995年開催のラグビーワールドカップ決勝戦にてオールブラックスは敗退。準優勝に終わりメインズは辞任する。後任ヘッドとして1996年にオールブラックスヘッドコーチに就任。オールブラックス選出経験のない指導者として同チーム初となるヘッドコーチに就任する。就任後は1996年から始まったトライネイションズで2年連続全勝優勝する。

1999年ワールドカップでは予選ラウンドを順調に通過するも、準決勝でフランスに敗れ、続く3位決定戦でも南アフリカに敗れ4位に終わる。大会終了後にヘッドコーチを辞任。1996年から1999年までのオールブラックスヘッドコーチとしての成績は41戦31勝9敗1分、勝率75.6%。

ニュージーランドの林業の大手企業、フレッチャー・チャレンジ・グループにビジネスマンとして30年間勤務した。ビジネスマンとしての経歴が長いラグビー指導者。自らのラグビー理論「PASS」を強調し「Pressure(圧力)」、「Accuracy(正確さ)」、「Support(支え合い)」、「Simplicity(簡潔さ)」の4つを基本とする戦術を信条とした。知将として高い評価を得るラグビー指導者。「単純なことを正確に」を基本とする正確なラグビーを展開した。

2007年に日本で開催された「JAPAN XV vs Classic All Blacks」ではクラシック・オールブラックスコーチとして来日している。

現在は、自身の経営するコンサルティング会社代表、ニュージーランドウォーリアーズ・ディレクター、スカイ・ネットワーク・テレビジョン理事などを務める。1997年にニュージーランド・メリット勲章(名誉)を授与された。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジョン・ハート (ラグビー指導者)」の関連用語

ジョン・ハート (ラグビー指導者)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジョン・ハート (ラグビー指導者)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジョン・ハート (ラグビー指導者) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS