ジョルジュ・イザンバールとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 21:11 UTC 版)
「アルチュール・ランボー」の記事における「ジョルジュ・イザンバールとの出会い」の解説
ランボーが文学の道を志すきっかけとなったのは、1870年1月、彼が15歳のときに修辞学の教師としてシャルルヴィル高等中学校に赴任したジョルジュ・イザンバール(フランス語版)との出会いであった。22歳のイザンバールは革命思想の持ち主でもあり、彼の教養、思想などに大きな影響を受けたランボーは、読書に没頭し、詩作を始めた。早くも同年に「孤児たちのお年玉」 を文芸誌『ラ・ルヴュー・プル・トゥース』 に発表し、5月にはイザンバールの勧めで『現代高踏派詩集(フランス語版)』の編集委員の一人であった詩人・劇作家のテオドール・ド・バンヴィルに「オフィーリア」「感覚」「太陽と肉体」の3編の詩を送り、同詩誌第2集への掲載を懇願した。これらの詩は、実際、バンヴィル、ルコント・ド・リールら高踏派の詩に倣ったものだが、とりわけ「感覚」は、伝統的な詩の技法から脱した、ランボー独自の世界を切り開くものとして、後に高く評価されることになる。
※この「ジョルジュ・イザンバールとの出会い」の解説は、「アルチュール・ランボー」の解説の一部です。
「ジョルジュ・イザンバールとの出会い」を含む「アルチュール・ランボー」の記事については、「アルチュール・ランボー」の概要を参照ください。
- ジョルジュ・イザンバールとの出会いのページへのリンク